Kくん

旧友のk君が亡くなったのは平成23年3月、丁度津波が東日本を大混乱に陥れていたときだった。
と言っても秋田県は停電程度の被害だったので、大震災とは関係ないようだ。
元々、彼のお父さんも50代で亡くなったので、
彼も、お父さんと同じくらい生きたということにもなる。
帰省すると快く迎えてくれる唯一の友人だった。
大曲の人だったので、
全国にその名が知られるようになった花火大会にも近くまで案内してもらったこともある。
K君は成績が特別良かったわけでもないが、
仙台市東北大学農学部に合格を果たし、
卒業すると、家業を継いで農業一筋だった。
その事業がどうだったのかとんと不明。
大曲で会っても仕事の話を聞かされたことはなかった。
彼とは一度意見の食い違いをみたことがある。
それは、学習の努力は認めるとしても、
それは生まれつきのものかどうか、ということであった。
努力してもある程度までは上昇するとしても、
それ以上は無理だというのがボクの持論だった。
だから、高校で成績のよかった人たちが、
血のにじむような努力をしていたかというとそうではなく、
その家庭環境に合った無駄のない過ごし方をすることで、
自然に身に付いたものであろう・・、と。
そんな言い方をすると、
K君は不愉快を露わにしたのだった。
会食の費用は、主にK君が負担をしてくれ、
自家用車でいろんなところに連れて行ってもらえた、
そのこともあって、
ぼくは彼の表情をみて、
自説をすぐに否定した。
いやいや、すまん、これは、
ぼくのような負け犬の遠吠えにすぎない、
やはり、成績上位の人たちは、
ぼくには分からない努力をしていたのだろう、
君も、東北大に合格した、
すばらしいことじゃないか、
と褒めまくって、なんとか体裁を取り繕ったのだった。
そうして、秋田の地元の料理を腹一杯ごちそうになったのだった。

人間、いくら努力しても、だめなものはだめ、
しかし、そのように考えたら夢もなくなってしまう。
努力すれば何かあるかもしれない、、そう思ってやっていくのがよろしいと思うのだった。


旧友のk君が亡くなったのは平成23年3月、丁度津波が東日本を大混乱に陥れていたときだった。
と言っても秋田県は停電程度の被害だったので、大震災とは関係ないようだ。
元々、彼のお父さんも50代で亡くなったので、
彼も、お父さんと同じくらい生きたということにもなる。
帰省すると快く迎えてくれる唯一の友人だった。
大曲の人だったので、
全国にその名が知られるようになった花火大会にも近くまで案内してもらったこともある。
K君は成績が特別良かったわけでもないが、
仙台市東北大学農学部に合格を果たし、
卒業すると、家業を継いで農業一筋だった。
その事業がどうだったのかとんと不明。
大曲で会っても仕事の話を聞かされたことはなかった。
彼とは一度意見の食い違いをみたことがある。
それは、学習の努力は認めるとしても、
それは生まれつきのものかどうか、ということであった。
努力してもある程度までは上昇するとしても、
それ以上は無理だというのがボクの持論だった。
だから、高校で成績のよかった人たちが、
血のにじむような努力をしていたかというとそうではなく、
その家庭環境に合った無駄のない過ごし方をすることで、
自然に身に付いたものであろう・・、と。
そんな言い方をすると、
K君は不愉快を露わにしたのだった。
会食の費用は、主にK君が負担をしてくれ、
自家用車でいろんなところに連れて行ってもらえた、
そのこともあって、
ぼくは彼の表情をみて、
自説をすぐに否定した。
いやいや、すまん、これは、
ぼくのような負け犬の遠吠えにすぎない、
やはり、成績上位の人たちは、
ぼくには分からない努力をしていたのだろう、
君も、東北大に合格した、
すばらしいことじゃないか、
と褒めまくって、なんとか体裁を取り繕ったのだった。
そうして、秋田の地元の料理を腹一杯ごちそうになったのだった。

人間、いくら努力しても、だめなものはだめ、
しかし、そのように考えたら夢もなくなってしまう。
努力すれば何かあるかもしれない、、そう思ってやっていくのがよろしいと思うのだった。
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