「麦秋」

本日は、公民館で、スピーチ教室の忘年会、各自、カラオケということはなく、3分話をいたします。その準備。小生は、映画・・。

麦秋
1951年のものですが、先日、この映画を見た翌日、
主演だった原節子さんが
お亡くなりになっていたことが発表されました。
先月のことです。
ご冥福をお祈り申し上げたいとおもいます。

親が植物学者、兄が医師という、
堅実な家族を持つ紀子(原節子)は、
もう28歳、
人に会えば、持ち出されるのは、
結婚の話です。

そんな折り、会社の上司からは、
四国の旧家に育ち、商大(一橋大)卒、
商社の常務42歳を紹介されるのです。

紀子にはもう一人の兄がおりました。
次男の省二ですが、戦死してしまいました。
長男の康一と同じ病院で
医師をしている矢部と同級生です。

その矢部は、妻に先立たれてしまったのですが、
幼い子供が一人おります。

秋田県立病院で医師を募集しているという話を聞き、
辺境の地・秋田に行く決意をします。

茶店で、矢部に呼ばれ、
紀子は、
文通していたとき、省二からの手紙に入っていた、
戦地の「麦」だと言って、手渡しされます。

単身で、いよいよ秋田に旅たつ前日、
はなむけに訪れた紀子に、
意外な話しが待っておりました。

それは、矢部の母親の泣き言にも近いことばで、
息子の嫁として、いっしょに秋田に行ってくれないか、
と訴えるように願われてしまいます

これまで、
全く感情を出さなかった紀子が、
会社常務との結婚を破棄して、
矢部との話に応じたのです。

仰天したのは、紀子の兄貴で、
家族みんなが真剣にお前のことを心配しているので、
身勝手なことをするな、
と怒りをあらわにいたします。

それに対して、しっかりとしていうのです、

矢部の母親から結婚を切り出されて、
自然に素直になれた、といいます。

そして、40を過ぎても、
独身のままの人って、信用できない、
と辛口のコメントも。

結婚話のようにも見えますが、
怒りに任せて子供を叱り付けることへ、
大人たちへの戒めとなる場面などもあります。

3分では、まとまりそうもありません。
そうしましょう。