野球の思い出。

野球の思い出。
テレビで甲子園の試合をみて、というわけではなかったが
翌年、横手高校に入学、6月頃野球部に入部した。
1年生の7月までは、グランド外で、
玉ひろいかそんな類で退屈なものだった。
ベスト8にて敗退。
先輩たちの試合を観覧席からみていた。
同じ1年生でも4人が出場した。
8月から基礎練習になり、自分もバッテング練習に加わるようになった。
その下旬から、秋の公式試合がはじまった。
ここで代打とか守とか幾度かチャンスを与えられたものの、いいところをみせられなかった。
特に、打席や走塁での監督のサインの見逃しが大きかった。
13人前後の部員の中、
万年補欠の地位に納まり、
もう試合出場のチャンスが来ないことを悟った。
特に、主将が負傷、長期欠場となったとき、
代わりの捕手は、マネージャーが務めることになった。
その決定に耳を疑った。
それほど監督に見放されてしまったか、と。
それでも、辞めずに続けたのは、
野球そのものが面白かったから。
試合には出られなくとも打撃投手やその捕手をすすんでやった。
体を動かすことは快かった。
高校生の本分は、
勉強して大学進学に勝つことと心では思っていた。
放課後、体を動かすことで良い気分転換となった。
2年生の末で退部した。
監督は引き留めたが、
ぼくの退部よりも連鎖を危ぶんでいたようだ。
選手の一人も僕に続いて退部してしまったのだった。
休日になると秋田市とか岩手県などに遠征して
練習試合をするのだが、
試合中はひかえとして、声を出すだけ。
つまらないと思った。
練習も、常に脇役を強いられた。
3時間近くの練習のうち、
30分も体を動かしていないんでは・・。
これなら家で受験勉強していた方がマシだと思っていたのだった。

今は、部員でも試合の出場のない部員は、
チアガールを囲むように応援、
吹奏楽のそばで太鼓たたいたり、
応援席に少なからぬ場所を占めているが、
なにかしら活動の場があれば、
ぼくも最後まで部員を続けていたような気がする。
高校時代の有意義な日は、
紅白試合を設けてくれたこと。
選手とそれ以外の混成チーム(甲子園に出場した先輩たちと補欠からなる)との試合だった。
練習の中でのこととはいえ、
正選手に負けじとプレイしたことを覚えている。
せっかく放課後の時間を練習に参加している部員に対して、
そのような面白い企画をもっとやってほしかった。
体育大出の監督に
頭脳的な練習内容まで求めるのは酷だったか。