史の会

以前、長年続けていたサークルを止めてしまったことを述べたように思う。「史の会」といい、公民館での活動を30年近く続けている松戸市のサークルである。会員も、書くことが好きでたまらないというセミプロ級の集まりと言っていい。
自作のエッセイを朗読の最中、ある会員にブーイングの態度を示されたことに、私も反発して去ることを決めた。会長だけには、退会の本当の理由を告げた。他の会員たちには「仕事の都合」として、表向きは一年間の限定の休止としたのだったが、復帰することは困難な状況にある。
新たに始めたもうひとつの活動、「絵本読み聞かせ」は、松戸市に隣接する葛飾区のサークルである。発表にしくじっても、最低一年は続けたいと意気込んでいる。
現在のところ15名前後の会員を前にしての練習だが、いずれ保育園や老人施設で発表活動していくことが予定されている。初期の講座も含めてもう10回近く発表の場があったが、今は、ようやく会員の顔と名前、そして個性(発表技術の程度)も覚えかけているところだ。
ほとんど同じような絵本の読み聞かせなのに、その語り口調で、聴く方の心境は全くちがうことに気付いている。時間の経過を忘れさせて惹き込ませてくれる人と、そうでない人とがあること。残念にも自分は後者の方だろう。
分析してみると、前者は、情景が浮かぶようにわかりやすい発音、そして、聴く者の頭の中に、描かれる物語が現れるのを待って、次へと語りをつないでいく間(ま)の取り方。
それに比べて自分はあまりにも余裕がなさすぎる。発表の最中、たえず、不安が襲ってくるのにきづく。その都度、声に張りがなくなったり、震えをおびそうになる。なんとか、「まけてはならない」と言い聞かせ、奮いたたせるようにしている。無意識に早口にもなっている。
読み手の頭の中で混乱が起きれば当然、聴く方も描いていた物語が瓦解するものであろう。こんなことが続けば、またあのしどろもどろに読み聞かす男の登場だ、とブーイングを起こしてやれという輩(やから)が現れてもおかしくはない。しかし、今度は、それでも止めたりせず、続けていこうと言い聞かせているのだった。