ジャズ喫茶「スイング」の頃

 今から30年位前、小生が二十代だった頃、水道橋駅のすぐ近くにスイングというジャズ喫茶店がありました。
 位置としては、駅の東口と言ったらいいでしょうか?お茶の水方面の出口なのですが、橋を渡ってすぐのところがスクランブル交差点になっております。
 朝は、信号を待つ、かの有名な桜蔭学園の女生徒が大勢見掛けられる所でもあるのですが、近くにマクドナルド店の入った建物があります。
 そこで、今でも、職場に行く途中で、時間の調整の為に、お店でコーヒーを飲みながら、時間を過ごすことがあるのですが、この建物の敷地の一角が、そのジャズ喫茶店でした。
 橋を造り替えることになり、周辺は、建物も取り壊されることになったのです。お店は、近くに移転したそうですが、常連客と自認しつつあった小生は、もう、移転先に行くこともありませんでした。 元々音楽は、苦手意識があって、高校では、美術を選択しました。おたまじゃくしが、並ぶ楽譜とも、中学までのおつきあいだったのですが、その喫茶店に入り、ジャズ音楽のよさを知ったように思えます。
 鬱屈とした気分が、次第と薄らぐのを感じるのです。
 お店は広くなく、薄暗かったのですが、お客は互いにおしゃべりすることもなく、却って図書館にいるときのように、読書とか集中でき、気分も落ち着いたように思えます。
 300円かそこらのコーヒー代は安くはなかったのですが、そこで、一時間なり二時間なり過ごしても、店主に苦い顔をされることもありませんでした。
 50代かそこらとおぼしき女性の店主がいたようにおもいます。
 水道橋駅でわざわざおりては、「スイング」にて、時間を潰すこともよくありました。
 後に、そのお店で、小説家の村上春樹さんが、アルバイトをしていたことを知りました。村上さんは、すでに大学を卒業、別なところで、喫茶店主として独立していた頃でもあり、おめにかかることはありませんでした。
 お客の来ない間、村上さんが、あそこでどんな風に過ごしていたのかなあ、などと思うこともあります。
 ただ、ぼんやりと、お金を稼ぐだけではなく、そのやり方を学び、独立して、事業主として、ジャズ喫茶店をやれたとは、はやりスゴイ人だなあと思いました。
 仕事は辛いと弱音をはくまえに、自分も独自にやれることはないかと考えるきょうこのごろで、ございます。