学生時代

青春の、まっただなかの頃・・

土曜日の勤務も、催し物がなく、駐車が閑散としているときは、職場の防災センターも、意外と暇なのですが、そんなときは雑談でもして眠気を退治。

▲長くは生きても、色んな楽しみもどんどんなくなってしまうなら、さほど生きる価値もないなあ、などと同僚の一人がおっしゃっておりました。その自分も、腰痛になってか歩き方さえも、本当に年寄りじみていることに気づき愕然とするばかり。記憶もどんどん無くなってしまう。

▲学生時代を、東京・調布市で送り、かれこれ7年近く大学周辺で暮らした。大学は甲州街道沿い、大学のグランドが多摩川近く。はじめ学生寮暮らし、そこを出てからは多摩川近くのボロいアパート暮らし。近くに京王閣競輪場とかあったけど無論、入ったことはなし。
後年、つげ義春(漫画家)も近くに住んでいたらしく、ぼくが暮らした街そのものを漫画で描いていたのには驚きました。グランド周辺には大映とか日活の撮影所もありました。
永遠の青春スター赤木圭一郎は、まさにその調布撮影所で事故死したのだとか。当時映画にはまるで興味なく、その撮影所に立ち寄ってみるということもありませんでした。

▲体育ではサッカーを選択。ポジションなんて無きに等しく、ボールが転がる先に全員が走っていくというような、ベラボーに疲れる試合運び。
あるとき、その運動の最中、遠方の土手に、女性も含む数人の人影が現れました。やおら女性が衣服を脱ぎだし、下着姿になろうといわんばかりでした。我々の1人が強く蹴ったボールが偶然か、土手めがけて転がりだしたのでした。ボールの方向を誰も変えようとしないものなので、どんどんその謎の男女たちに向かって転がっていきます。ウォーと野獣のような叫び声をあげて20名ばかり、猛然とかけっこです。

▲異変を感じたのか、彼らはあたふたと、撮影機材を納め、移動を始めました。女性も毛布に包まれて「避難」。

▲老体をムチ打ち、信じられないほどの速さで、先頭になって走り出していたのは、どうやら、名物体育教官のO先生だったのです。ふだんから、砕けたことを言っては意味ありげな笑いをする先生でした。土手にいた彼らは日活の撮影スタッフだったようです。

▲「日活ロマン」などと題して、男性受けを狙いだした頃のことでした。しかし、テレビに押されてもう、日本映画は傾く一方でした。
無我夢中にボールを追いかけた日々ももう遠い過去のことですな。