牛6課(その2)

牛6課(その2)
他也像イ故父親的所有心情(彼にも父親たるものの所有する心情のようなものがあり)、
イ故錯了事表面不服輸(やりまちがえても表面は失敗を認めないのだが)、
但心中究境有点過意不去(しかし、心中はとどのつまり幾分か思いがすっきりせず)
干是比平時更多用了一此力気(そこでいつもに比べて更に力を多く用いて)
与牛合作(牛と協力して)、
上大的汗水従太陽角流到顔上(大きな汗粒をこめかみからほほに流したのだ)。


也比平時少罵邦牛許多(しかも、いつもにくらべて牛をどなる度合いは少なかった)、
・・在平時、這牛是常々因為戯望了別処風景或過路人(いつもは、この牛はしきりと、余所の景色や道行く人を眺めたりし)、
転身肖尺(身のこなしが遅れぎみとなるので)、
大牛伯就創作出無数希奇古怪的名詞来罵ヒ的(くもやんは、そこで、とめどなくヘンテコリンな言葉を作り出し、牛を叱り付けるのだった)。


天下事照例是這様(天下のことはいつもどおり、こんなものであって)、
要求人了解(人に了解を求めようとするなら)、
再没有比沈黙更合式了(もはや、沈黙に比べて更にちょうどだというのはない)。


有此人総以為天生了人的口(ある人達は総じてこんなふうに考えるのだ。天が人に生んだ口というのは)、
就是為説話用(すなわち話するのに用いるだめだ、と)、
有心事(だから、心配があれば)、
説話給人聞(そのはなしを人に聞かせば)、
人就了解了(人はそれで了解してくれると思っている)。


其実如果口是為説話才用得着的一種東西(そうはいっても、もし口が話しの為にのみ用いられる類のものだとするなら)、
邦ム大牛(そんなに大きな牛も)、
小鳥全有口(小さな鳥も全て口があり)、
大的口巳経有邦ム大、説”大話”也句了(大きな口はすでにその大きいことをもって、「大きな話」を話すのにも充分だとなってしまうのだが)、
為十ム既不去作官(どうして役人にもなれず)、
不能去演説泥?(演説もできないのか?)