牛7課(その1)

牛7課(その1)


不過大牛伯心一軟(しかし、くもやんは心が優しくなると)、
話也説不出了(しゃべることもできなくなった)。


他如説”朋友、這是我錯(もし彼が、「友よ、これはオレのミスだった」と言ったなら)、
也許邦牛還疑心這是慌話(その牛はその言葉をウソだと疑いさえしたであろう)。


這慌話一則是想用言語把過錯除去(その話は一方で言語を用いてあやまちを取り除くものであり)、ニ則是慌ヒ再発狼イ故事(他方では牛をだまして、更にむきにならせ、仕事をさせようとするものだ)。


人与人是常常有這様事情的(人と人とでは常々このような事情が有る事だろうが)、
開不止牛可以這様多疑(決して、このように多く疑うことのできるのは、牛にとどまらない)(牛だけが疑い深いというわけではない)。


他若説”己経打過了、也無カ法。(彼が仮に次のように言ったとする「すでにやってしまったことはしょうがない。)
我是主人(オレが主人だが)、
虫然是我的任性(オレにわがままがあったかもしれないが)、
也多半是汝服従職務不十分尽力(大半は、オマエの職務への服従が、十分力を尽くしていなかった為だ)。


我門若如今功過両抵(オレ達が、今や、功績と過誤とを相殺するというのなら)、
以後好好生活把(以後の生活は快適だろう)。”
這様説、牛若聞得理他的話(このように言ったとして、牛が若し聞いてその話が聞いて分かるのなら)、
牛也不甘心的(牛も心を甘くしたりはしなかっただろう)。


因為ヒ常々自信巳尽過了所能尽的力(というのは、牛は常々尽くせる限りの力を既に尽くしていたと自信があったから)。


一点不敢怠惰(少しも敢えて怠けなかったし)、
至干報酬、又開不争論(報酬に至っては又争う余地もなかったから)、
主人仮若還有人心(主人にもし良心があるのなら)、
自己就不至干挨一郎槌(自分を槌で一撃するには至らなかったであろう)。


開且用家火殴打(しかも槌で殴っておきながら)、
用言語慰労(言葉で慰める)、
這様事別的不能証明(このような事は、別なものは証明することはできないのだが)、
只拾拾証明了人類イ故主子的不老実去了(只丁度人類が主人となった不真面目さを証明するものだ)。


他門会説話(彼らは話ができる)、
用言語装飾自己的道徳慈悲(言語を用いて自己の道徳慈悲を装飾する)、
又用言語作恵(又言語を用いて恵みを作ってあげる)、
虫恵不費(恵むと云えども費やしはしない)。


如今的子牛正因為主人一句話不説(今や、子牛が正に主人が一句も話をせず)、
不引咎自責(自分のせいだと言わず)、
不弁解(弁解せず)、
也不仮託這事是吃酔以後発生的不幸(また、この事が酒を飲んで以後に発生した不幸なのだとかこつけたりもしなかったために)、
明白了主人心情的(主人の心情が明白となったのだ)。


有此人常々用”酔酒”這様字眼作一切己有此理的壊事(ある種の人は常々「酒に酔った」という言葉を用いて、一切の、どうしてこんな理があるものかと言うべき悪事をやってのけるのだが)、
而他只是一句話不説(しかし彼は只の一言も話をせず)、
乃然用同牛在田中来回的走(あいかわらず、牛と畑を往来し)、
乃然虚虚的督促到ヒ転湾(あいかわらずシーシーと牛に向きを変えるように急き立て)、
乃然用鞭敲打牛背(あいかわらず、ムチで牛の背中を叩いた)。


但他昨天所イ故的事使他羞漸(しかし、彼は昨日なした所の事は彼をして羞恥せしめた)、
特別的用力推鋤(特別に力をこめて鋤を押した)、
又特別表示在他邦照例的鞭子上(又特別に彼の例に照らして鞭の上に表示されていた)。


他不説這罪過是誰(彼はこの罪が誰にあるか)、
想明白這責任(この責任を明らかにしたい、とは言わなかった)。


他只是処処看出了ヒ的苦痛(彼は只処処に牛の苦痛を見て取るばかりだったが)、
而同時又看到天気(同時に又天気も眺めた)。


「我本来願意上汝休息(オレは本来汝を休息させたいと願っているのだ)、
全是因為下半年的生活(全てこれ、下半期の生活の為なのだ)、
不能不イ故事(事をなさずにおれないのだ)!
這種情形他不説話也被他的牛看出了的。