第8課(その2)

第8課(その2)


 他ナ(くもやんといえば)、
的確是有点憂愁(確かに憂鬱だった)!


就因為邦牛休息時(というのは牛の休息の時)、
側身睡到草坪里(身を横にして草の空き地に眠っていると)、
他看到ヒ邦一只被木郎槌所敲打過的腿時時収縮着(くもやんの見たのは、牛が木槌で叩かれた所の足を時々収縮させていたことであった)、
似ホ不是一天両日就会転好(一日やそこらで良くなりそうになかったようだ)。


又看到鋤同邦牛合作所鋤過的田(又鋤が牛と合作して鋤を入れた田を見ると)、
新翻起的土壌如開花(新しく掘り返された土くれが開いた花の如くであり)、
迂是為一種不敢十分去猜想的未来事下呆了(そこで一種、敢えて十分に考えてみる気になれない未来の為に、愕然としてしまった。)
”万一・・(ひょっとして?)”
邦ム、蕎麦値和自己不相関了(そうなると、蕎麦の値段と、自分とが無関係になってしまうし)、
一切都将不和自己相関了(一切が自己と無関係になってしまうのだ)。


 他在回家的路上(くもやんは、家に戻る途上にて)、
看到小牛的歩伐(牛の歩みを見て)、
想到的事完全是麦値以外的事(思い到る事は完全に蕎麦の値段以外の事であった)。


畢竟是此十ム(とどのつまり、これがどういうことなのか)、
他是不敢明確的(くもやんは、敢えて明らかにはしなかった)。


総而言之(概して)、万一就這様了(万一そのようになったら)、
邦ム(そのときは)、他同他的事業就全完了(くもやんは、事業が全くお仕舞いになってしまう)。


這就像賭輸了銭一様(これは、賭けに負けて銭を失ってしまうかのようでもあり)、
同天打賭(お天道様が相手では)、
好的命運属迂天(好い命運は天に属し)、
人無分(人に分は無く)、
輸了(負けてしまうなら)、
一切也応当完事(一切は、当然終わってしまう)。


仮若這様説去(仮にこう言ってみよう)、
就是這牛因為這脚無意中一郎槌(この牛は、無意識に、槌で叩いた為に)、
従此皮了(それで引きずるようになり)、
医不好了(治すにも十分でないなら)、
除了故菜或故牛肉干(料理とするか、肉干しとするかを除いて)、
切成三斧五斧一塊(干し肉として一切れ3か500グラムとするか)、
用棕縄掛到土頭去薫(棕櫚縄を用いて竈に掛けていぶすか)、
要用時再従土頭取下切細加辣子炒吃(用いようというとき、再び竈から取り出し、細く切って、からしを加えて炒めて食べる)、
没有別的意義(それ以外、別な意義がないなら)、
邦ム、大牛伯也得・・(そうなれば、くもやんもまた・・)
因為牛一死(牛が死ねば)、
他十ム都完了(くもやんは全てお仕舞いとなってしまう)。