牛 10課

 牛 10課
 這夜里牛也有【イ良】多心事(この夜、牛もとても多くの心の事が有った)、ヒ明白他門的関係(そして牛には彼らの関係が明らかだった)。他用ヒ幇助(彼は牛の助けを用いている)、所以同ヒ生活(それゆえ、牛と生活しているのだ);但一到了他看出不能用到ヒ的出力時候(ただし、一旦くもやんがに、牛の出力が使えないと分かったら)ヒ就将【言上】別外一種人牽去了(牛は、将に別な種類の人間に牽かれ去ってしまうのだろう)。ヒ還不【イ良】清楚牽去了以後将イ故十ム用途(牛には、牽かれていった後どんな用途に用いられるか余りハッキリとしていなかったが)、不過間或聞到主人在憤怒中説(ただし、時折、主人が怒っている中で言っているのを聞いている)”発温的”、”作犠牲的”(疫病病みとかお供えとか)”到屠戸手上去把(肉屋の所へやってしまうぞとか)”這一類【イ良】奇怪的名字時(そういった類の奇怪な名前を言うとき)、総隠隠約約看得出只要一和主人離開(いつもぼんやりと分かるのだった。つまりは、一旦主人と離れてしまえば)、情形就有点不妥(事態は少しばかり具合が悪くなり)、所得的痛苦恐拍就不止言罵同鞭打了(得る所の痛苦といったら恐らく罵られ鞭で打たれるだけでは止まらないだろうということが)。為了這不可知的未来(この知るべくもない未来の為に)、ヒ如許多人一様(牛は沢山の人のごとく)、対這問題也【イ良】想了一此時間(この問題に対してもかなりの時間を掛けていた)、仮若逃走離開邦屠戸(たとえば肉屋のところから離れて逃走しようか)、或用角触邦凶人(あるいは、角でその凶暴な人間を突いて)、同他弁命(そいつと命を掛けて戦うか)、又或者(またそれとも)、・・・ヒ只不会許願(牛にはただ願をかけることはできなかった)。因為許願是人才重這ケ事(というのは、願をかけるというのは、人にのみ理解のできることであるため)。開目凡是許願求天保夕(しかも、凡そ、願をかけて、天にお守りを願うのには)、多説在災難過去幸福臨門時(多く言われることだが、災難が過ぎ去って幸福がやってきても)、殺一只牛或殺猪殺羊(牛を殺すか、あるいは豚や羊を殺さなくてはならない)、至少必須一只鶏(少なくとも一羽の鶏は必要だ);仮若人没有東西可許(仮に人に許すべくモノがないとするなら)【如這一只牛(この牛のごとく)、却十ム也没有(何もない)、十ム也不是ヒ自己的(自己のものは何もない)、只除了不価値的従身上取出的精力(価値のなく、身上から取出す精力を除いては)、邦ム天也不会保祐這類人的(どんな天道様もその種の人間を守ってはくれないものだ)。
這牛迷迷湖湖時又イ故夢(この牛はぼんやりと又夢をみた)、夢到ヒ能施了三具鋤鉄飛包(夢の中で、三本の鋤を引いて飛ぶように走ることができ)、上山下田(山を上り畑を下り)、鋤所到処土地翻起如波浪(鋤が到る処土地は波浪の如くすき返されるのだった)。主人正【立占】在耕過的田里(主人は正にその耕された田に立って)、膝以下全被松土所俺(膝以下は全てすき返された土に被さって)、張口大笑(大きく口を開けて笑っていた)。当這可怜的牛【イ故】着這荒唐好夢時(このいとおしむべき牛がこの荒唐な夢を見ていた時に)、邦大牛伯也同様正イ故着好夢(くもやんも同様に良い夢を見ていたのだった)。他正夢到用四床大晒谷箪舗在坪里(正に夢を見ていた。四枚の大きなアンペラが空き地に広げられて)、晒箪上新蕎堆高如小山(アンペラの上には、新しい蕎麦のモミが小山の如く積み上げられており)、抓了一把褐色蕎子向太陽下照(一掴み褐色の蕎麦モミを取って、太陽に向けて照らすと)、蕎麦在手上閃放烏金光沢(その蕎麦は手の上でキラキラと光沢を放っていた)。邦蕎子就是今年的収成(その蕎麦は今年収穫したものだ)、放在坪里過升上倉(空き地に置いて、升に量り倉に入れる)、竹寿馬還是従甲長処借来的(穀物の測量は、やはり甲長から借りて来たものだが)、一大梱去到地下(大きな一束を地面に放ると)、【口化】的響了一声(じゃらじゃらと音が響いた)而邦参預這収成的功臣(そしてその収穫に当って功績のあった臣)・・邦只小牛(その小牛は)、両角間就披了紅(両つの角の間に赤いのを掛けて)、【立占】在身辺(そばに立った)。他迂是向ヒ説話(彼はそこで牛に向かって言った)、神気如対多年老友(其の顔は長年の友達に対するごとくであった)。他説(彼は言った):”朋友(友よ)、今年我門好了(今年俺たちはよかった)。我門可以把囲壁打一新的了(塀を新しいモノに出来るし);我門可以換両扇腰門(私たちは両側の門も換えられる);我門可以把坪貝栽一点葡萄了(私たちは、庭に葡萄も植えられる)。我門・・(私たちは)”他全是用”我門”的字眼(彼は全て「おーめん」という言葉を用いた)、因為必須承認這一家的興起(というのも家の栄えるにつき承認せざるをえないのだ)、邦牛也有分(この牛にも働きがあったということを)、或者是光栄(名誉の面からも)、或者是実際(実質的な面からも)。他迂是厳然望到邦牛【イ乃然】如平時様子(彼は、そこで厳然とその牛を望むと、平時の様子の如く)、水王王的眼晴中写得有四ケ大字(水がきらきらした目の中には、よっつの字が写し出されていた)、”完全同意(全く同意しますよと)”
好夢是生活的仇敵(良い夢は生活の仇敵だ)、是神給人的一種嘲弄(これは神が人に与えた一種の嘲弄である)、所以到大牛伯醒来(だからくもやんの目が覚めたとき)、他比起没有【イ故】夢的平時更多不平(夢を見なかった平時に比べてずっと穏やかでなくなった)。他第一先明白了蕎麦還不曽上倉