春一番

中国の文豪、魯迅の小説に「故郷」というのがある。今でも、中学校の教科書に掲載されているので、ご存じの方も多いだろう。

 故郷の実家を売却することが決定。その後始末に訪れる。
 コンパスおばさん、ルントウなど、少年時代の馴染みにも会う。
 魯迅自体は、中国を代表する知識人にも上りつめていたのに、実家を売却するはめになるとは、と素人にはわかりにくい設定である。  日本流なら他人に貸すとか、親戚に住んでもらうとか、そんな考えを巡らすところだ。
 魯迅の父親か祖父は、「科挙」の試験委員(試験問題を作成)をしており、試験漏洩の疑惑にて、公職から追放、家運が傾いていたので、そのような売却という事態になったという説もある。
  その家がどうなったか、「故郷」には触れていなかったように思う。

 故郷は、潔く、すてるべし、と言っているようでもある。ただし、心の中に、忘れずにもっていれば、よし、と。

 NHK高校講座「日本史」をみた。
 明治の頃の、北海道の事が紹介されていた。無論、そこにはアイヌ人が暮らしていたが、明治政府は、破格の条件で移住政策を推進していた。場合によっては、アイヌ人は先祖伝来の土地を追われたかもしれない。
 政府は、其処に暮らす決意をした者に破格の条件で、土地を所有させた。そうして、全国各地から移住が始まる。地震とかで村が倒壊した地域では、見切りをつけ、村ごと移住したりした。
 
ここにも、不要になった故郷は潔くすてるべし、の精神が見いだせる。

 私にも故郷はあるけど、私の子供はというと、故郷はモウ千葉である。今実家に一人で暮らす母親が亡くなれば、秋田の家を維持していくのは困難である。雪が降るからなおさらである。人が住まなくなれば、閉めきった住宅は急速におとろえ始めるだろう。かびくさくなっていくだろう。
 壊すにも費用がかかるので、そのまま、自然に崩壊するにまかせておくのが安上がりであろうか?
 昔の自作農家の住宅なら二百年、三百年保てるように頑丈に作っていたようだが、昭和期の現代の住宅はどうだろう。
 人が暮らしていても、30年、40年で、家電製品のごとく建替えときている。私としては、自分が生きている限り、なるべく実家を訪れるようにして、手入れはしたいと思っている。
 売却しようにも、二束三文にしかならない。
 
 アフリカとか中南米で、大地震でもあって、大量の孤児が発生した場合に、跡取りの居なくなった家で養子縁組でもして、日本の農村に暮らせるようなシステムが無いと、村おこしは難しい。
 赤ん坊のうちに連れてきて、職業的に育てる保母さんとか居て、育てるようにしないと。

 秋田県のように自殺率の高い県の老人達に、赤ん坊を授けたら、自殺の悩みなどはふっとんでしまうかもしれない。
 しかし、実現化はむずかしいか?

 インフレが来るとしても、住宅に限って言うと、少子化の加速していく時代に、一部の地域を除いて、金銭的な価値が上がるとは思えない。一代限りの、大きな「骨董品」と思って、手間をかけて、維持保存していくしかない。
 そして、老齢化した所有者が昇天するととともに、老いぼれた住宅もどこかへ消えていくのだろう。


2010年03月20日 22時45分 [