ソクラテスについて

 NHK高校講座にて「ソクラテス」を聞いた。
解説によると次のようになる。
 当時は、何でも過でも、自然の不可解な現象(雷、地震、太陽・・)を神に結びつけようとする風潮があった。これに飽きたらず「論理的に」「言葉で」解明しようと努力した人たちも出現した。
 哲学者(知恵を活かそうとする人々)ソクラテスもその一人に位置づけられる。
 都市国家アテネの人で、当時政治も裁判も、直接市民が行うようになっていた。すべては議論を通じてなされたが、弁論の技術が重視されるようになった。いわゆる、話し上手であること、この技術に優れた一人がソクラテスであった。
 時代が進むと、政治を勝手な都合で操ろうとする弁論が横行するようになった。
 あるとき、ソクラテスは神から、「貴方が一番優れた知恵者だ」とのお告げを受けた。
 ソクラテスはうぬぼれるどころか、これは神の別な意思によるものだろうと考え、爾来、積極的に議論の場に出るようになった。
 世間で知識人として崇められている市民(芸術家、科学者、政治家など)を次々と論破した。 彼は、矢継ぎ早に質問を浴びせ、相手が返答に窮するところまで手をゆるめなかった。
 こうして人間の弱い面をさらけだした敗北者たちを、
 
人間として最も大切なこと、正義とは何かと言ったことを知らないのだ
 
 として説明した。

 実は、ソクラテス自身にも、その根源的な質問に明確な回答はないのだが、

 その無知を自覚して居る分だけ、他者より知恵があるのだ

 と考えた。
その試合(公開討論)は大勢の市民の前で行われた。あるいは、ソクラテスが現れるだけで多くの市民が集まってきた。
 とうとう、ソクラテスによって恥をかかせられた者たちが集団で訴えを起こした。

 当時の風潮として、裁判といっても、素直に謝ればそれで済むような、のどかな面もあったのだが、ソクラテスは頑固にオレはなにも悪いことをしていない。なのに、謝ることはないと突っぱねた。
 市民らの多数決の結果、わずかな差で有罪になった。
 次ぎにどのような罰をするか決めることになった。

 ここでも、ソクラテスが余りにも堂々とした態度をとったので、肝を潰した被告たちを怒らせ、死刑という想定外?の判決が下った。

 それでも、まだこれを避ける道は残されていた。他の土地へ追放されるとか、また、わざわざ逃げ道を作ってくれた者もいたが、正義を貫こうとする者がそんな姑息なことは出来ぬと主張した。

 こうして、ソクラテスは従容として毒を飲んであの世へ旅立ってしまった。

 高校講座では、ソクラテスが具体的にどのような弁明をしたのかその過程は明らかにされなかったが、現代で言う、思想上での異種格闘技戦が行われ、王者となったソクラテスが、尊大な姿勢に転じ、却ってひんしゅくを買ったというような歴史事実が、述べられているように思った。

 芸術家にとっての正義、政治家にとっての正義、科学者にとっての正義、それぞれ異なって当然だろう。ソクラテスは、弁論術に優れていたので、相手がすぐに答えられないような質問を浴びせることもお手のものだったのだろう。そして自らの正義こそが最良のものであるのだと誇示した。

 「自分も正義とは何か分からないけれど、それを知っているだけ私の方が、彼らより知恵者である」などと体裁の良い言葉で締めくくっている。
 わずか数時間、いや数日だったかみしれないが、そんな短い議論で、相手の辿ってきた長い人生までも否定するような言い方をしたのだとすれば、これは罪深い事だとおもう。
 人に頭を下げて詫びるより死んだ方がマシと考えるほど頑固な一面(欠点)はあったが、長い人生の中で色々な知恵を思いついて、人々を楽しませてきたことが評価されて、現在にソクラテスが語り継がれていると考えるのが妥当だろう。