プラトン

高校生だった頃も、同じ内容のことは授業で聞いていたはずだが、すんなりと内容が理解できなかった。NHKの授業を宣伝するわけでもないが、とてもわかりやすいと感じた。で、「倫理」の二回目を紹介したい。

ソクラテスの存在を強く印象づけたのは、弟子のプラトンであった。プラトンは著述に優れ、目の前で師匠のソクラテスの行った問答をつぶさに記録した。(ソクラテスの弁明)
素朴な記録ばかりではなく自身の考えを反映したものも多く書き残した。(プラトンの対話)。
ソクラテスは生前、人間が生きていく上で大切なテーマについて、有名無名を問わず、街角で通行人の袖を引いては議論をふっかけた。
「正義とは」「善とは」「美とは」。それまで、ソクラテス自身、こうしたテーマについて何度も考察してみたが、理にかなった説明に到達することができなかった。
それは自分に知恵が不足している為ではなく、人間は不完全なもので、誰にも答えられないものなのではないか、と仮定してみたのだった。
そうして、誰にも答えられないというのを「知りながら」誰れ彼れとなく人を捕まえては質問を発して行った。
相手が答えられなくなるのに何度も遭遇し、自分の「仮説」は正しいのだという信念を深めていった。

答えられそうでなかなか思いつかないということはどういうことだろう。
身近には、旧知の友を見掛けたけれど、どうしても名前が思い出せない、と言った現象にも似ている。
プラトンはこの現象を次のように説明した。
「魂」だけの世界があって、この世界にあったときは、魂は「正義」も「善」も「美」も、ちゃんと知っていた。説明もできた。
しかし、人間が誕生、成長して、魂がその中(人間の肉体)に宿ることになって、その記憶を忘れてしまったのだ、と。
だから、かつては知っていたのに、どうしても思い出せないという状態に陥ってしまうのだ、と。

答えられないような質問を、あたかも答えられるかのような雰囲気に持っていって質問し、返答に窮するといった場面は、時々見掛けられることである。

国会の場における証人喚問などである。国民の代表の立場で質問をしたのに、その質問内容が余りにも露骨すぎて、却って「悪人に」同情が集まった。それのみならず、その場が終わって間もなく、今度はその代表者が窮地に落とし入れられるという事もあった。
これなどはソクラテス的しっぺがえし、とでも名付けてよいように思われる。