明渡申立から催告まで

 1月19日、簡易裁判所でテーブルを挟んで、弁護士、原告の私、そして借家人の被告。ここで、やりとりして、作成された和解条項。この中にて、約束した賃料の支払いを二度に渡って、借家人は怠った。
 弁護士さんとしては、その支払期限を、毎月25日限り。具体的には、1月25日、2月25日と設定するつもりだったようだが、被告の要求で2月25日、3月25日と一月遅れとなってしまった。
 私としては、どうせ支払いの意思はないのだから、弁護士さんの設定に同調して、1月25日からの支払いを主張するべきだった。そこは自分のうっかりミスだったとも思っている。
(悪知恵の働くヤツは、解決を遅らそうとしてくる)という言葉が浮かんだ。その間、借家人として、タダで住めるのだから。
 しかし、ともかく、和解条項にて、支払いが無かったら、期限の利益を失う。かつ、直ちに明け渡す、という文言を入れてもらった。これは、前回の訴訟との大きな違いである。
 1月19日に裁判があって、3月25日の到来、実に長い期間にも思われた。
 しかも、その間に地震災害があった。
 
 さて、今度は借家人のある地域の裁判所が管轄となり、簡易裁判所から地方裁判所へと担当も変ってくる。執行官は、5年前にやりとりした馴染みのある声であった。親しみがもて、話しやすい感じがした。
 
 事前の問い合わせでは、執行官の回答内容が食い違っていた。
 
 当初は、郵便での申立は可能。それが、一転して不可となった。裁判所まで来いということになった。執行官は、強制執行において絶大なる権限を持っているとも。文句は言えない。
 また、年度末にさしかかっているとか事情もあるだろう。4月になって、担当が変ってしまう可能性もあるだろう。また、地震の影響で、4月初旬までは、明渡執行はできない、とも言われた。
 それまで、強制執行の本でも読もうとして図書館から本を借りるが、殆ど読まなかった。
 仕事を他に持っていることは、利点もある。仕事をしていることで、この嫌な訴訟のことを忘れていることもできるからだ。
 
 そうして、4月になりすぐ執行官室に電話した。女性の担当者が出た。そうして、今度は郵便での申立も良い、と言われた。調子が狂ったが、こちらとしても、往復5000円、しかも一日数本のバス便しかない不便な、その支部へ行くより、ありがたい。助かった。

 申立書(ひながた)は、地元の裁判所に行って受け取る。ある程度、そこでも書き方を教えて貰う。しかし、地域によって、担当によって微妙に違うので、必ず、書類の書き方を、申立する裁判所に尋ねておくよう言われた。

 まず、サンプルを見ながら、必要事項記入。それをファクスにて送る。そして、電話でやりとりしながら、訂正したり、色々と書き方について、指導を受ける。
 「申立書」「物件目録」「当事者目録」
 これらをホッチキスで綴じる。捨印を各ページに押す。さらに「割印」をページとページの境目に押す。これは、申立書など三通の書類がまとまって、一つになっていることを意味する。このような手作業は、電話だけでは限界があり、最寄りの裁判所担当に、やってもらうのがよい。
 物件目録、当事者目録は、五分ずつコピーする。

 そうして一旦は、裁判所・執行官室宛に送る。書類が受理されたら、今度は、振込書が送られてくる。予納金と言って、この額も裁判所によって異なるようだ。4月13日に振り込んだと思う。
 その日に電話して、振り込んだことを告げると、女性担当は、それでは執行官とお話してください、と言って、執行官が出た。すると、それは、3月の人と同じ声であった。

 あらかじめ、「催告」「断行」の希望日を書いて、「できるだけ早い日にお願いしたい」とも書いておいたので。その希望が実現した。
 もっとも、都市部のように、強制執行を順番待ちしているような地域はそうはいかないだろう。ちょうど、強制執行を担当する不動産店が、私の世話になっている不動産店でもあって、執行官の方も、「断行」は、そのお店に任せた方がよい、とアドバイスしてくれた。
 「催告」については、私が実際家の中を見てみたいと希望をだしたので、同行が実現した。
 4月15日が「催告」となった。