いよいよ催告

 催告にては、不動産店と連絡を取り合い、まず、鍵開錠技術者を確保してもらう必要があった。地域の電話帳だけでは、なかなか見つからなかった。鍵自体を壊すという業者はあった。
 また、次回、「断行」において代理人を務めるK氏にも来ていただくことにした。もとより、お店と借家とは地理的に近いので、問題もないように思われた。K氏にとっては、不動産管理におけるまたとない、実務の勉強になるだろう。

 しかし、他に仕事を持つ私にとっては、どのような展開になるか予想もつかなかった。
 エッセイの会にては、訴訟からここまでは、一連の物語風に、短く書き上げて発表もした。しかし六名ほどいるおばさん連中で二人までが大家さん稼業であることもわかった。私の不安など、彼女らベテランにはどう映ったろう。また、金融機関で取立業務にあたっている方もおられるようであった。会終了後に彼らからアドバイスを受けてもよかったかもしれない。

 本来は、債権回収を得意とする業者に依頼するのが一番だったかもしれない。しかし、なにぶん、地方に位置している借家なので、最寄りの不動産店に頼むしかなかった。不動産の担当がダメといえば、もう裁判所しかないのである。
 
 連絡は済んだものの、自分が現地に行くことにも不安があった。地震が襲って交通が麻痺しないか、とか、うっかり乗り過ごししないか、とか、時間に間に合うだろうか、とか。

 この不動産の購入を勧めたのは叔父である。その叔父は、契約した翌年に頓死してしまった。叔父の奥さんの親戚・老夫婦が暮らしている。旦那さんが死去、おばさんも入院することになり、その当日訪問は不可ということになった。
 自分としては、催告の時刻まで少し休憩を取らせてもらいたいという希望があったがそれもかなわない。住宅がまばらに建っている地域なので、どこかにたむろしているしかないのだ。
 
 バス停から不動産店まで徒歩約15分。東京駅にて買った菓子箱を渡す。担当は、お昼の休憩なのか不在だった。
 自身も大通りに沿ったコンビニで100円の菓子パンを買って食べながら歩いた。放射能が飛び散る風の中、食べ終えると、マスクと帽子で歩くこと20分、やっと借家の前にたどり着くと、「敵人」が、まさに玄関につったって何かしていたのである。
この「敵人」とは、これまで三度お目にかかっているが、あくまで裁判所の職員がいる所での対面であり、当事者同士に会ったことはない。自己破産もしたことがあるというので、気安く会える人ではなさそうだ。
 
 催告、午後2時半という時刻に対して、執行官は車で、午後2時15分頃現れた。私は、物陰に隠れるように、借家人に見つからないような所で時間を潰して待っているしかなかった。不動産屋のK氏は、まだ、来ない。ちょっと期待はずれ。

 執行官のE氏に会うと、「では行きましょう」。催告の通知は、借家人(債務者)にも知らされていたようだ。しかし、申立受理から催告まで三日とないのだから、急なことであったろう。ただし、最終支払い期限(3月25日)からしたら三週間は経過しているので、覚悟もしてもらわなくては。
 執行官と債権者と二人での訪問。
 これは、いささか、相手にはプレッシャーもかかるまい。
 執行官「お話ししたように、催告をやりに参りました」と、借家から現れた借家人に言った。そうして、執行官は、私と相手から離れるように立った。(困るなあ、私は、単に場面に立ち会うだけの気持ちで来たのに)
 「何かお話があるのなら、どうぞ。ここで解決がつけば、いつでも取り下げることはできます」などと言う。

 その言葉に力を得たかのように、現金を片手に握って、「それ(執行)はご勘弁を願います、今日、少しは払いますから・・」などと頼みこむように言ってきた。
 私は私で、話し合うつもりもなかったのだが、やむを得ず、聞き取れるか取れないかのように
「私も仕事を休んで来ているのです。退去を願います」。そういった。

 そのとき、頼み込むようなまなざしのなかに、ピカッと、まるで、かえるを飲み込もうとしているヘビのような険悪な視線が向けられたような気がしてたじろいでしまった。

 そんなところへやっと、不動産店が現れた。担当のK氏に、相手を代わってもらい、話の相手をしてもらった。やはり、そこは、手慣れたものだと感じた。
 借家人は、彼を「K君」と呼び、「K君、なんとかしてよ。」と助けを求めるように話した。
 「これまで何度と無く話し合いはしてきたでしょう。?さんも困っているかもしれないけど、大家さんだって、もっと困っている。税金だって払っていかなくてはならない」と後押ししてくれた。
 
 執行官を向いて、じゃあ、手続きをやってくださいと私は目で促した。それに沿うように「では、お家の中に、公示文を貼り付けます。後で呼んでください。5月○日の前日まではいることが出来ます。その5月○日に、荷物は皆運び出します」そう言ってくれた。

 これで、終わり。ではなかった。

 あわてるように債務者は自動車に乗り込むと同時に、帰りかけの私の後を付いて来て、何事かものを言って来たのである。
 気を利かして執行官の方が、途中まで送ってあげましょうと言って、私は執行官の自動車に乗ることができた。あのまま、一キロ以上、バス停留所まで歩いていたら、どんなことになっていたことであろう、冷や汗ものである。

 相手は、まともな人ではないのである。何かあるかわかったものでない。

 ノートルダムのせむし男、という映画がある。その風貌が、なんと似ていたことか。

 元の紹介不動産店が、この男を私の住宅に入れ込んだのに、魂胆があるのだと感じた。 断行まで2週間ちょっと。それまでは油断ができない。

 奥さんが居ないということだったが、相変わらず住んでいたことも判明した。
 保証人になっているので、賃料の支払いを免れるという気持ちなのだろう。

 10月以上支払いもなく、まだ、当然に住み続けるつもりでいる、どこまでお騒がせな人たちなのであろう・・。

 4月17日、執行官の方宛に、自動車に乗せて、私の身の安全を図ってくれたことへの感謝の礼状を手紙にして書く。
 私としては、次なる計画は、金融機関への強制執行をやってみること。